2015年2月25日の呟き

私は、私が話すはずだった言葉を失ってしまった。
その、私が話すはずだった言葉は今どこにあるんだろう?と思う。

私が話すのをやめてしまった時に泡となって消えてしまったのか。

それとも、誰かが私の代わりにその言葉を話しているのだろうか。

人は必ず、何かを失った時に何かを得ていて、何かを得た時に何かを失うと言うけれど。

その言葉を失った時に、私は何かを得たのだろうか?

人は過去に帰ることは出来ず、未来を先取りすることも出来ず、ただ今という時の中でユラユラ揺れているしかできないのだけれど。

何を失ったのかさえも分からないまま、ぼんやりと時計の針だけを見ている時に。

理由のない悲しみに、支配されそうになる。

その言葉を失った時に同時に失ったであろう未来を思うとき。

取り返しのないことをしてしまったという苦々しい思いを噛み締めてみたりもするけれど。

何を得たのか自覚もないその何かが、そのうち萌芽することに期待してみるような、そんな脇の甘さを、自嘲したりもして。

期待なんて。

期待、などという甘酸っぱい感情に、何度踏みにじられて心をズタズタにされたか分からないのに。

一体何度、割れてしまった心の破片を泣きながら、一つ一つ拾い集めたのか。 ビリビリに千切れてしまった心の絹を縫い合わせたのか。

なのに。

暮れていく夕陽が再び登ってくるときには朝陽であるように。

明日という未来は、期待してもしなくてもやってきてしまう。

その明日という未来に、私の新しい言葉を見つけることはあるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

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