鏡の中の自分の顔に、おばあさんが見えてきた。おばあさんの顔の時間がだんだん長くなってきた。
おばあさんになるのは怖い。
たぶん男の人がおじいさんになるのよりも女の人がおばあさんになる方が怖いと思う。
女の人にはショウミキゲンがあるからだ。
女の人は子供を産めなくなると女ではなくなったと言われるから。
女の人が女でなくなったら、何になるのだろう。
なにか生きてる価値がなくなるみたいで怖い。
生きてる価値がなくなるって、ゴミみたいってことかな。
生まれつき子供が産めない女の人はどうなるのだろう。
病気や事故で産めなくなった人はどうなるのだろう。
恋をするのは子供を作る為だって誰かが言った。
その誰かは、子供を産まない人は恋をしないと考えるのだろうか。
そういう、みんなが当たり前に口にするいろんなことに、私の顔の中のおばあさんは、それに見つかってしまわないようにと、必死で隠れる。
きっと私の顔の中のおばあさんだけじゃなくて、女の人は、女の人たちは、それらから見つかってしまわないように、お金をたくさん稼ごうとか、勉強して頭の良い人だと思ってもらおうとか、せっくすがうまくなろうとか、あるいは、やさしいお母さんみたいな人になろうとか思ったりする。
やさしいお母さんはみんなが大好きだから。
おいしいお料理が作れたり、おそうじが得意だったり、よく気が付いてみんなのお世話がじょうずだったり。
気がつくと、女の人たちは自分が一番優しいお母さんみたいな人だと自慢している。
本当のところは分からないのに、みんなが自分が一番だと思いたがってる。
その目を見るとときどき怖いと思う。
生きてる価値を競っている。
全然やさしくなんかない。
でもそういう人は便利だから。
そうだね、すてきだね、あなたがいてたすかるよ、ってみんながいう。
そうやってうそっこのやさしいお母さんをたくさん作ろうとする。
そして、みんなうそっこのやさしいお母さんになろうとする。
みんな、いつか自分の顔におばあさんが現れるのを知ってるかのようだ。
早くおばあさんになって、自分の顔の中に小さい女の子をみつけたりしたい、と思う。
その小さい女の子のことを、きっと永遠だとおもえるだろうから。
その小さい女の子がきっとおばあさんに、大丈夫だよ、ずっと一緒に生きて行こうねって言ってあげられるから。
そして老いて死ぬのはみんな同じなんだよって教えてあげられるから。
ね、だから仲良くしよう。
みんな、仲良くしようね。