昨日とある女子会で、日本の男性映画人は「女性が作品を撮っても「ふーん」と聞き流して、観てみようともしない。」という話が出ました。
その通りだと思います。
ジェンダーギャップ指数が世界で120位の現状をよく現していると思います。
全裸監督、作品として否定はしませんが、日本が世界に通用する作品がAVとアニメしかないと言ってるのと同じ現状に、日本の映画制作者はもう少し危惧を抱いた方が良いのでは?
世界に通用する、本当の日本映画とは何か?
アップデートという言葉が出てきていますが、ご存知ですか?
男性の映画監督が多少下手な映画を撮っても「あれはチャレンジだった、実験だった」と前向きに捉えるのに対して、
女性の映画監督だったら「こんなへったくそな映画撮りやがって責任取れるのか?これを人に見せるつもりか?」と罵られる。
どうやらこれは私だけではないようで、いろんな女性フィルムメーカーから聞かされる経験談です。
おっしゃってる本人に自覚があるかどうか分かりませんが、これは女性が映画を作ることに対する抑圧です。
こんなことを看過していたら女性が前向きにチャレンジしていくことが出来ません。
ちなみにこういう投稿さえも、女がなんかめんどくさいこと言ってる、と見て見ぬふりされてるとは思いますけれど。
大原とき緒監督短編映画「bird woman」のクラウドファンディングの時の応援メッセージを追記しますね。
●以下、応援メッセージ●
【私たちはまだ映画の面白さの半分しか知らない、と言ったら大げさだろうか。】
映画に限ったことではないが、特に映画の場合はその製作形態から、男性が作る男性のものであるという考えが強かったように思う。
撮影や編集などの作業は男性でないと出来ないと思われていたのだと思う。
そもそもそこから間違っているのだが。
私は高校生の時に映画を作り始めた。
いずれは長編の商業映画を作る映画監督になろうと思っていた。
しかし、実際に映画業界に入ってみて言われたのは
「男を喜ばせないと駄目なんだよ」という言葉だった。
おかしい。
観客の半分が女性であることは、明白なのに。
政治にしてもそうなんだろうけれど、組織の体質が男性によって作られたもので、男性が決定権を持っている以上、「男のオレを喜ばせる」ことが第一条件だったのだ。
女性を喜ばせるための映画も、映画が産業として成立するために、苦肉の策として作られることもあるが、オンナ子供相手のつまらないものとして、脇に置かれがちであることは否定できないであろう。
結果、オンナ子供向けに作られていたアニメが商業的に成功していくことになる。
市場、マーケットというものを冷静に見つめていきましょうね。そこには老若男女、すべての人間が平等に存在しているのです。男性だけじゃない。
「男のオレ」には分からない世界が、映画にはまだ半分残されていると思う。
これは残念なことでもある。
つまり、映画業界における男女平等が他の表現媒体よりも遅れていることの結果だからだ。
前置きばかり長くなったが、大原とき緒さんの撮る映画は、残された半分の映画的な面白さにあふれている。
映画によって自己表現をしたい女性にとっては、生きづらい世の中だったと思う。
羽ばたく翼を針金で雁字からめにされていたようなものだろう。
これからはきっと変わっていく。
変えていきたいと思う。
翼を羽ばたかせて、行きたいところに飛んでいってほしいと思う。
私は短編映画「Bird Woman」を応援します。
吉村元希(脚本家・女優・映画監督)