栗原小巻「松井須磨子」

無理だと思っていたのに、導かれるようにして栗原小巻さんの一人芝居「松井須磨子」を福島テルサで観劇させて頂いた。やはり大スターだった。

美しさと存在の輝き。

ピケターンもくるくると回られる。

私が小巻さんの歳になった時にこれが出来るだろうか?と思う。

そして、改めてあの時代(女性の参政権はなかった)に、それまでは男性の女形が演じるのが当たり前だった女性の役を、女性が演じることの時代の反発を感じさせられる。

そして自由に生きるしかない須磨子の生い立ちと、その孤独。

直接お目にかかった栗原さんに「どうして栗原小巻さんのような大スターが、今、松井須磨子を演じられるのですか?」とお訊ねすると「だって、須磨子さんあってこその私達でしょう?」とにこやかに。

そうか。

そうなのだ。

今になって女優を始めた私だけれど、高祖母に松井須磨子という人がいなかったら、もっと若い時に始めていただろう。

何度も「女優をやってみたら?」と色んな方から言って頂いていたのに。

いつも逃げ出すように断っていた。

どこかで松井須磨子のようになってはならないと思っていたのだろう。

「私、実はお芝居で泣きすぎるタイプなんです」と甘えついでにお話しすると「じゃあ、須磨子さんの血を引いているのねぇ」と笑ってくださった。何だか救われた。

今でも世の中には「女優って…」とどこか普通の女ではないのように言われることがある。

平気で嘘泣きできる女、みたいな。

それはつまり偏見だ。

私は自分を自分の偏見で縛っていた。

「あなたがお芝居する時教えてね、観に行きたいわ」と仰った。

あり得ないことだけどそう言ってくださるだけでも嬉しい。

なんて素敵な方なんだろう。

だから私は泣き虫の女優でいい。

……あ、監督やる時は泣きませんよ、実際泣いたことないし(笑)
今回の観劇には本当に色んな方がお力添えをくださり、背中を押してくださいました。

大きな一歩を踏み出せたような気がします。

本当にありがとうございます。
8月20日から22日のリーディング頑張らないと。

新宿三丁目の【こった創作空間】というところで4回公演の予定です。
泣き虫吉村を見に来てくださいね。

今回はいつもより多目にお芝居します、笑。

松井須磨子に関する覚書 その2

「正子」と読む、この文字を見るまでは正直不安だった。

#松井須磨子 こと 一世を風靡した大正時代の大女優の本名、小林正子の名が記されている戸籍である。

子供の頃から母方の親戚に松井須磨子という人がいるというのは聞かされていたけれど、実際会ったこともないし、どこかボンヤリとしていた。

当たり前のことのように聞いてきたけれど、先日、叔母に戸籍を調べたことがあるのか?と尋ねたら、全ては伝聞だという。

真に受けてて良いのか知らん?という不安。有名人が親戚だって言いふらす大ボラ吹きのお祖父さんだったかもしれないじゃん。子孫のあたしたちを担いで天国で舌出してるかもしれないよ?

いや、実は、それだけでなく、映画や小説などに描かれる松井須磨子という人が正直あまり好きになれなかったのもある。炎の女。激情の人。向こう見ず。私は激しい女の人がちょっと苦手なのである。

ところがそうこうしているうちに自分自身が俳優という仕事に携わることになってしまった。こうなるとどこかできちんと向き合うべきだと思ってはいたけれど。

いろんな役を演じてみる。

他人から良い人と言われる女性も、悪い女と思われる女性も。役を演ずる事を通して、単純な私にも見えてくる人間の複雑さ、多面性。

もしかして様々な作品を通じて知られている松井須磨子はほんの一面に過ぎないのではないかと感じられてきた。

死んでしまった人の心の中を知ることは到底できない。

けれども、私が知っている松井須磨子という人は、他者によって形作られたものに過ぎない、という事だけは、ずっと覚えておきたいと思う。

私は須磨子の兄・庸三の曽孫であることがこの戸籍によって確認できた。

ホラじゃなかった、という意味ではホッとしたけれど。ね。うん。

「ウチのじーさんが大ボラ吹きで、ホントすみません」ってオチでも悪くなかったな、と思ったり。

というのが昨日2019/07/09の事で。

明けて、今日は松代でサボったお墓参りに神楽坂の多聞院へ行って来た。須磨子のお墓は分骨されて故郷の松代と神楽坂にあるのだ。ずっと仕事で神楽坂に通っていた時に一度訪れようとした時は何故か迷ってしまって辿り着けなかった。何事にも潮時というものがあるのだろう。

神楽坂駅から、泉鏡花の旧住居を通り、多聞院から芸術倶楽部跡まで。須磨子の文章「忘れ難きことども」を読んだ後にこの芸術倶楽部跡の前に立つと感慨もひとしおである。本日の終点は赤城神社。神社の中のカフェで一休み。御神籤は大吉。幸先は良さそうだ。

8月に行うリーディング会の前にお墓参りが出来て良かったと思う。

その2はないものと思っていた。その3は果たして。

シエナのカタリーナ

今さっき食べた蕎麦が素晴らしく美味しくて、ここ数年私は何して生きてたのかな?と思うほど。 そういう時に限って写真撮ってない。 幸せの条件に「食べ物が美味しく食べられること」をあげる人がいることに納得出来る、数年に一度の稀な日。

と、思ってたらもう胃もたれしてる、笑 つかの間の幸せ。

亡くなった母が度々「食べ物を美味しく食べたい」と言っていたのを思い出す。 母もまた食べ物を美味しく食べられない時が多かったのだろうか。

そう言えば先だって書いた友人も食べられない人だった。 食べられない私たちが一緒にご飯を食べていた。 おかしな二人。 でも彼女は私よりずっと食べることをいろいろ工夫していた。 偉かったなぁ。 私も食べると言うことをもうちょっとちゃんとしたい。 今更だけど。

やっぱ無理するのはやめよう。 ねばならない、では問題が複雑になるばかりだからね。

食べたものがたまさか美味しければ、それでいいや。 その日はラッキーと思えば良い。

それより、自分を罰し続けなければ生きてはいけないと思い込んでいるこの性根をなんとかしよう。

メモ↓ シエナのカタリーナhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%8A%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%8A